リスノ巣箱

なんでもない一日から

令和のはじまり

昨日から今日にかけて、テレビでは時代の代わりゆく様が映されている。

昨日、京都での打ち合わせから帰ったら、ちょうど「退位礼正殿の儀」が中継されていた。

 

 

足音だけが響くおごそかな雰囲気の中、侍従の方々が皇位の証しとされる剣、勾玉などを台上に安置される。

台に置く際は、丁重にひと回ししてから置かれるのだが、もし‥ころんと落ちてしまったら大変‥など、よからぬ心配がつきまとって、変な緊張をしてしまう。

特に、国璽・御璽は小さく、ひとつの台に2つ置くので難しそう。私があの係だったら、剣のほうが持ちやすいしいいなと思うかも。なんて空想しつつ見ていた。

歴史に残る瞬間。
きっと念入りな段取り確認とリハーサルをしているはず。職業柄、どうしてもいつもの視点で見てしまう。後に、やはり充分なリハーサルが行われていたと何かで読んだ。

天皇陛下のお言葉「我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。」は、とても印象に残った。

31年間となった平成の時代。

 

 

私の弟は、平成元年生まれ。
なので、弟の歳っていくつだっけ?と思った時「今、平成31年だから31歳」とわかりやすかった。それも昨日で終わり。

次に年号が変わるとすれば‥約25~30年後だろうか。
もう一度は、時代が変わる瞬間を見れるかもしれない。隊長共々元気でいれたらいいねと話をした。

平成から令和な瞬間

令和元年の1日目。
各地では、年末のカウントダウンのような盛り上がりで、色々なイベントが開催されていたそうな。

平成、最後に何するか。
令和、はじめに何をするか。

お寺では、平成と書かれる御朱印が最後だからと混雑し、酒屋では令和と書かれたお酒が販売され、あるイベントでは花火があがり、道頓堀川では人が飛び込み‥

皆がこぞって“今”を記録しようとしていたようだ。

“令和”の時を刻みだした瞬間。
我が家では、録りだめたテレビドラマを見ながら、ハイボールを飲んでいた。

そして、令和元年1日目は、溜まった家事に向き合っている。

 

 

今日は久々仕事での外出予定がない。先週末からコンサートで丸3日外出し、昨日も打ち合わせで半日以上いなかったので、洗濯物は山積みとなり、フローリング床の隅っこには猫の毛が溜まっていた。

せっせと洗濯をして、掃除機をかけて、仕事の資料を整理してファイリング。ようやく少しマシになった空間であったかいほうじ茶を飲みながら、これを書いている。

記事を書き終わったら、夜は溜まったパソコン仕事に向き合い、スタジオにて、レコーディングが1件。

なんてこともない一日が、私達の令和一日目となった。

ただ続いているだけ

誕生日もクリスマスも盛り上がることない私達。

イベント無関心となる感覚の根っこにあるのは、節目や記念の一日ではあるけれど、全て同じ一日だということ。

特別盛り上がる気持ちを持つことが、何か違和感を覚える。まぁただ冷めているだけなのかもしれないけれど、むず痒く変な感じ。

今回も世間の盛り上がりに驚いた。

今日も日がのぼる

 

令和元年の1日目を思い出そうとしても、今日の私の過ごし方はきっと記憶に残らない。
でも、溜まった家事をやり終えて、心を清浄化した今日は、続いていく日々にとって必要。

ネコはベッドで丸くなって寝息をたて、先日植えたテラスの花は、綺麗に咲いている。
そんな何でもない風景の中、健康で、大きな心配事もなく、日々の暮らしをそれなりに過ごす何気ないことが、私にとっての幸せな時間。

偶然にも、記事を書く日と“令和”のはじまりが重なったので、何でもない一日をそのまま記録することにした。

今晩はお好み焼きが食べたい気分。

今日は発泡酒じゃなくて、お気に入りのキリンラガーにしよう。少しだけの特別感をプラスして、新時代の幕開けをお祝いする。

なんでもない日々がずっと続く “令和時代” となりますように。

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