いつもめでたい思考を展開している私達ですが、今日は番外編です。
8年前のあの日
3月11日。
東日本大震災から8年が経過した。
当時はまだ、スタジオを開業する前。
隊長は京都の会社に勤めていた。
同僚の方に赤ちゃんが誕生したと聞いて、その日、リスは京都の百貨店へ御祝を買いに行っていた。
車の免許をとって間もない頃で、初心者マークをつけた私は、京都の細い道も立体駐車場もそわそわしながらの外出。
地震があった時刻。
無事に買い物を終えた私は、車で移動をしようと思ったら‥隊長から電話。
「大丈夫?」
「御祝ちゃんと買えたよ~!」
「いや、違うって。」
「あっ運転?意外に平気やった。」
「いや、違うって。」
「へっ‥なに?」
その後、スマホでYahooニュースを見て現実を知った。
連日の報道を見ながら、気がかりだった人へ連絡をとった。
恩師に会いに
高校3年生の担任の先生は、福島県出身だった。
独特の福島弁なまりの英語の先生。
滅多に怒ることもなく、否定することもなく、笑顔でひょうひょうと「そんなの、やってみないとわかんないじゃん。」と言う。
私にとって、初めて出会ったタイプの先生。
学校方針として大学進学が推し進められていた中、専門学校を希望した私の進路を肯定してくれた恩師だ。
私達の学年が卒業を迎えたあと、先生は福島へ帰った。その後、同窓会や友達の結婚式で2度ほど会って、年賀状のやりとりを続けていた。
地震が起きた時、真っ先に頭に浮かんだのは、先生だった。
メールをしたら、程なくして返信があり、ご家族も無事だった。でも、家は半壊‥思い出の品が部屋ごと崩れてしまって、とても残念がっておられた。
勤務先まで車で1時間ほどかかるらしく「もぅガソリンの確保が大変なんだよ~~」と、いつもの口調が伺えた。
それから数カ月後。
思い立って、先生に会いに行った。
地震の爪痕を目の当たりにしながら、先生と話をして、一緒に御飯を食べた。先生の笑顔と訛りは健在で少し安心した。
震災から数年後。
震災復興や頑張ろうムードに少し疲れたとも言っていた先生。
ここ数年、年賀状がこなくなって‥元気かなと気になりつつも、連絡すると、かえって気を使わせるかなと連絡できずにいる。
小名浜での出会いとポストカード
福島を訪れた時、帰りに小名浜沿いの海岸を通った。
海釣りをしている人がいたので声をかけてみると、水族館「アクアマリンふくしま」のスタッフの方だった。
アクアマリンふくしまは、津波の被害を受けた1階に電気系統の設備があったため故障し、水槽の温度管理ができなくなり、飼育の維持ができなくなって大半の魚が死んでしまって‥
「水槽が寂しくなったから、釣りをした魚をいれているんですよ。また遊びに来てくださいね。」と話してくれた。
今アクアマリンふくしまHPを見ると、最新の生き物情報があったり、イベントもたくさん開催されているようだ。おじさんも元気かな。
海釣り中のスタッフさんと話した後、近くのローソンに立ち寄った。
買い物をして車に乗ろうとしたら、ナンバープレートを見たおじさんが「滋賀県からお越しなんですか?」と話しかけてきた。
そして、一枚のポストカードを差し出し「これを持って帰ってください。」と。
地方から来た人を見かけたら、想いを届けるべく、おじさんは自作のポストカードを渡しているとのことだった。
「福島のこと、忘れないでね。」と言って手渡されたポストカード。
優しい表情のお地蔵さんは、今も滋賀で私達を見守ってくれています。
器に込められた想い
先日、器を購入した。
陶芸家 伊藤岱玲(たいれい)さんの器。
以前イベントでご一緒させていただいたご縁があって、SNSでご活動をいつも拝見していた。
岱玲さんは、震災から毎年、こちらの器を50個だけ制作されている。
そんな岱玲さんの想いが込められた器。
器の代金は、個数×千円を被災された方々へ自分で寄付をする。
現状では、東北という言葉は単に方角ではなく、天災で被害に遭われた方々の現状と捉えてください。と、SNSのコメントにあった。
ずっと購入したいと思っていながら、気づけば完売になっていたり、タイミングが合わなかった中、今年はやっとお願いすることができた。
届いた器は、繊細なフォルムが美しく、すっと手に馴染む。思わず何度も手にとってしまう。
私達は、ハタチ基金へ寄付をすることにした。
当事者ではない私達ができることは、些細なことしかないかもしれないが、ほんの少しでも力になれれば。
「いのちありて今日を生きる」
いつ誰におきるかわからない天災は、他人事ではない。
紡がれたご縁を大切に生きていく。
8年経った今‥ポストカードを見るたび、そんなことを考えています。