「どこいっても無いんやから・・・」
昨日、スーパーに行ったら…すれ違いで出てきた親子。
「もうしばらく、できひんよ。どこいっても、ホットケーキミックスが無いんやから。」
母が息子さんをなぐさめるように、話しかけている。小学生くらいの男の子は、残念そうに下向き加減だ。
SNSやスーパーの棚を見て感じてはいたが、ホットケーキミックスが、世間では品薄状態。
ホットケーキミックスを買うことがない我が家では、いまいち実感はなかったが、まさに、その光景を映した親子だった。
ホットケーキミックスは、ホットケーキを作るだけでなく、ドーナツやアメリカンドッグなど、その他のお菓子作りにも代用できるので、手軽で人気らしい。
おうち生活では、確かに “楽しい” を食に求める傾向にあると思う。子供さんがいる家庭では、特にそうなのかもしれない。
みんなでホットケーキを作る…楽しい&美味しい時間。
さっきの男の子にも届けてあげたい。
リスの「もんじゃ焼き」発言。
先日、いきなりリスが突然こんなことを言い出した。
お好み焼き、たこ焼き、ネギ焼き、一銭洋食等々、根強い粉モン文化がある関西。「一家に一台、タコ焼き機」も伊達じゃない。
そんな関西だけど、もんじゃ焼きは、ちょっと縁遠い。
リスはこれまで「もんじゃ焼き」を食べたことがないそうだ。
確かに、数ある粉モノの中で、自宅で「もんじゃ焼き」を作ったことは無い。
スーパーでは、お好み焼き粉やたこ焼き粉と一緒に、もんじゃ焼きセットも見かけたことがあるし、新しいことに挑戦してみるのも、楽しいかもしれない。
思い立ったが吉日!と、おうちで「もんじゃ」に挑戦することにした。
ちなみに、隊長は東京・千葉の友人に連れられて、もんじゃ焼き屋さんに行った経験はあり。
パッケージには「月島」「浅草」の文字が並び、味は「ソース味」「しょうゆ味」の二種を発見。ここでおさらい。
もんじゃ焼き(もんじゃやき)とは・・・
ゆるく水溶きした小麦粉を鉄板で調理して食べる東京近郊のローカルフード。
「粉もの」料理の一つで、小麦粉を水に溶き、鉄板の上に流して焼く。お好み焼きに似た食べ物であるが、生地の粉液比が非常に低いうえに、ソースなどの調味料を一緒に混ぜ込んでしまうため、加熱後の鉄板上においても糊状で固形化しないのが特徴。
鉄板にへらで押さえつけて焼きながら食べるので、鉄板に接する部分は程良く焦げた状態で歯ごたえもあるが、押さえつけによる加熱が足りない部分などは粘った状態となる。
東京のもんじゃ焼き店、古くからの店が残るのは墨田区・江東区・台東区・葛飾区・足立区・荒川区等の下町に限られる。観光地として有名なのは、月島と浅草である。
なるほど、パッケージの「月島」と「浅草」はそこから来ているのね。
とりあえず、味比べしてみようと全種類購入してみた。
おうちで、初もんじゃ焼き
もんじゃ焼きセットには…粉・ソース・天かす・えび切りいか・青のりが入っている。
キャベツと水さえ用意すればOKという、手軽さ。
説明書通りに作っていくのだが、まずはじめに…粉と水とソースを混ぜる。
ソースを混ぜる!?!?第一の衝撃。
ちょっとしゃばい(さらっとした)ソースを入れて混ぜ混ぜし、茶色の素ができた。
次に、キャベツと天かすと干しいかをいれる。
そして、温めたホットプレートに、この具の部分だけを先にいれて炒める。
キャベツがしなっとしたら、丸く土手を作って‥
粉とソースの茶色の素を入れる。沸騰してきたら、すべてを混ぜ混ぜ。青のりをかけて完成!
…見ためは、やはりよくない。
そして、焦げたところをコテにくっつけて、ぱくっ。
関東のみなさま、ごめんなさい。もんじゃ焼きを甘くみておりました。
隊長のオススメ+よく聞くトッピングもお試し。
もち・明太子・いかフライ・ベビースターラーメン
「餅めんたい」は、ぴりとするような、餅っとするような。ベビースターラーメンとイカフライは、香ばしさが増す感じ。
ちなみに、浅草と月島は、月島のほうがソース味が強め+干しいかが細長く切られていて、主張あり。
意外だったのが、しょうゆ味。
出汁がきいているので、素のたこ焼きの中身を食べたような味に感じられた。要するに、美味しいのだ。
鉄板はエンタメ?!
おうちごはん、ビールにもんじゃ。
もんじゃ焼きは、お好み焼きに比べて、軽いおつまみ感覚。駄菓子屋さんで子供さんがおやつとして食べるのも納得がいった。
この小さなコテに少しずつとって食べる “ちまっと感” がいい。
関西では” タコパ”があるくらい、鉄板を囲むごはんは楽しいもの。(補足:タコパ=たこ焼きパーティー)
これまでもそんなことはわかっていたけれど、この色々と制限された状況において、食のライブ感は、いつも以上に楽しさを掻き立てる気がした。
結論。「鉄板でご飯を食べるのはライブ」である。
そして、味が違うからと欲張って3枚も食べるのは、食べ過ぎである。