リスノ巣箱

静かな秋に想うこと

一味違う今年の秋

9月も下旬にさしかかり、秋が日毎に深まってきている。

 

 

田んぼには彼岸花が咲き、すすきが風に揺れ、赤とんぼが舞うお山の秋。

すぐそばの栗の木。
いつも車で通りながら、青いイガを見ていたけれど、今は、小さな栗がお行儀よく並んでいた。

 

 

足元には小さな栗がころころ。
何も手入れされていない山の栗の木なので、食べる勇気はないけれど、この光景を見るのが毎年の秋の風物詩。

今年の秋は、例年になく、自宅&スタジオ業務が多い。

コンサートやレコーディングの仕事が少なく、HP制作やデザイン業務が多くなり、日々、自分の時間軸で仕事を進めている。

インドア派の私達にとって、これがまずまず楽しかったりする。気分転換は、掃除&料理、散歩。なんとも田舎らしい山暮らし。

おばあちゃんのこと

数年前の秋分の日、おばあちゃんが亡くなった。

 

 

母方のおばあちゃん。私にとっては、ただ一人のおばあちゃんだった。

父も母も特殊な家庭事情だったため、父方のおじいちゃんとおばあちゃん、母方のおじいちゃんの情報はおろか、顔も見たことがない。

そんな環境の中育ったので、親戚の集まりもなければ、従兄弟(従姉妹)も、再従兄弟(再従姉妹)もピンとこない。サザエさんを思い浮かべて、なんとなく想像するような感じ。

おばあちゃんは、優しくて物静かな人だった。

小さい頃は、おばあちゃんの家によく泊まりに行った。小さな黄色いインコがいるおばあちゃんの部屋で、一緒に布団をしいて眠った。

朝は、トーストにインスタントコーヒー。ネスカフェのゴールドブレンド&クリープを一杯ずつに、角砂糖を一つ。

 

 

この甘いコーヒーに、トーストを浸して食べるおばあちゃん。横で真似っ子して食べた。

ある時は、一緒に動物園に行き、ある時は、少し遠くの本屋さんまで歩いて出かけた。その時、星座のお話の本を買ってもらったことを今でも覚えている。

小学校の頃、私がジェニーちゃんの人形を持っていることを知って、服をこしらえてくれた。

レースをほどこしたり、細かなギャザーが入ったスカートや手編みのものまで、、手の混んだおばあちゃんの力作。

 


何度も引っ越しを繰り返し、当時のものは何もないけれど、おばあちゃんの作ってくれた服は捨てられず、今もクローゼットに眠っている。ジェニーちゃんは、服のお供状態。

 

そんな風に過ごしていたはずが、中学生になって部活が忙しくなり、両親の離婚を機に、会う機会がめっきり減っていった。

成人して大阪に出て、仕事をし始めた頃には、毎年欠かさず年賀状を出すだけ。

筆不精のおばあちゃんは、返事をくれるわけではなかったけど、喜んでくれていると知っていたし、私なりの愛情表現のつもりだった。

大切な人と過ごす時間

それから更に数年後。
不仲の母から連絡がきて、何かと思ったら‥

おばあちゃんがパーキンソン病だと知る。

パーキンソン病とは‥
脳の中の黒質と呼ばれる場所に存在するドーパミン神経が脱落してなくなっていってしまう病気。進行性の病気で、一旦発症すると自然によくなったり治ったりすることはない。難病指定。

連絡が来たときには、だいぶ進行していて、会うなら今しかないと言われた。

数十年ぶりに会ったおばあちゃんは、めっきり痩せて、私のことも何となくわかっているかなという状態だったけど「結婚したんだよ」と話して、指輪を見てもらった。

その数日後、おばあちゃんは旅立った。

 

 

私にとって、おばあちゃんが一人だったように、おばあちゃんにとっての孫は、私の存在が一番大きかったはず。

なんでもっと会いに行かなかったんだろうと思ったけれど、心のどこかで、いつまでも元気なおばあちゃんしか想像できなかったし、そうでないなら、向き合うのが怖かったのだと思う。

毎年、秋分の日を迎える度思い出す、おばあちゃんのこと。

 

 

おばあちゃんに再会して以降、後悔しない選択を意識するようになり、 “ 大切な人と過ごす今” をリアルに考えるようになった。

すると、本当に必要なことって意外に少なくて、慣例も、付き合いも、批判も、空気を読むのも、ぜーんぶいらないと思えてくる。

自分でかけている制限を取っ払って、したいことをして、会いたい人だけに会う。明日やろうは馬鹿野郎って、本当だ。

静かな秋の空気は、そんな気持ちを感傷的でも悲観的でもなく、優しく朗らかな気持ちで向き合わせてくれる。

ABOUT ME
risu
studio untrap デザイン担当。物事の順序の組み立て&アイデアの接着が得意。気になることはとことん調べる、調査能力はコナン級。最近気になるもの:Youtube「ロザンの楽屋」 / アリクイ
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POSTED COMMENT

  1. Yuki より:

    会おうと思えば会いに行けたお爺ちゃんが、私にもいました。なんで、とっても可愛がってくれたのになんで行かなかったんだろう…。 行ってはいけないって思うでもなく、そんな意味の札が心の奥に引っかけてあった という感じです。 後悔はつきものと思うけど、気になることはできるだけした方がいいなって思いました。 んで、最近は自分が大事って思う~
    (*^^*)

    • risu より:

      自分が大事って、とてもわかります。
      行動を制限している理由って、よーく考えてみると、どうでもいい理由だったりするなぁと気づくことがあります。わがままと表現すると語弊が生まれますが、でも、自分で選ぶチョイスはわがままでいいと思えるようになりました。色んな考え方を認めあえる人達と楽しく生きていきたいですー♪