日本を代表するスーパースターで”HERO”の木村拓哉氏。
SMAPになる前、欽ちゃんのオーディションで「 好きな食べ物は?」と質問されて「お母さんの作った、おいなりさん」と答えたそうな。欽ちゃんが「この子は売れるね」と思ったというエピソードは有名な話。
当然、私にも「実家の味」というのがある。
ただ、友人知人と話していて気づいた。うちの実家の味は、ちょっとだけ独自路線をいっているらしい。
カレー粉から作る本格派
うちの実家は自営業を営んでいる。
幼少期の頃は、繁盛しているお店だった。
店の忙しさの為、母親が台所に立つ時間も少なく、今は亡き祖母が食事の用意をしていた。祖母は大正の生まれ。第二次世界大戦も経験していて、一時は中国にもいた。
その祖母が作るカレーは、カレー粉から作るタイプのもの。
色は黄色、味はカレー粉の味が前面に出ている。コクはちょっと控えめ。幼い頃は、その祖母カレーが標準だった。
小学校に入って給食で出会ったカレー。
黄色というより茶色?初めて見るカレーに驚きを隠せなかった。偏食の私だが「これがカレーなのか?」と思ってちょっとだけ味見してみた。
その味は、全くの別物。うまいじゃないか。
どうやら「カレールー」というものが使われているらしいということを知って、親にねだってカレールーを導入してもらったくらいだ。
カレールーで作るカレーは衝撃的だった。
いっきにカレールー推奨派になってしまった私。
だけど、その後も祖母カレーこそが有川家の味とばかりに黄色いカレーは継続。親不孝の私は、黄色いカレーから足が遠のくばかりだった。
水分量多めの「おいなりさん」と「サンドイッチ」
木村拓哉氏のエピソードで登場した「お母さんの作った、おいなりさん」。
私も「おいなりさん」は好物だ。
もちろん、うちの食卓にも「おいなりさん」は並んでいた。
実家のおいなりさん。
祖母の味付けの癖なのか、寿司酢強め・味付け濃いめ/水分量多め、油揚げの油分たっぷりタイプだった。
お箸でおいなりさんをつまむと、滴る煮汁。
口に運べば、濃いめの甘辛い味がじゅわっと広がったと同時に、酢の酸味がガツンと押し寄せる。唇はテカテカである。
ジューシーなおいなりさん、というよりも、ジューシーを超えたその先にあるおいなりさんって感じ。
さすがに、ちょっとジューシーすぎるので「おあげの煮汁少なめ&ちょっと酢を抑えてほしいな~。油揚げの油を控えめにして~」と祖母にお願いして作ってもらったことがある。
すると、逆に全部の要素を引きすぎて、カスカス状態へ。ビタビタ⇔カスカスの振り幅にびっくりした。
おいなりさんを食べる度思い出す、ビタビタジューシーの思い出だ。
もうひとつ。
水分量多めの実家料理といえば「サンドイッチ」。
実家のサンドイッチ具材といえば、コールスローだった。このコールスローの水分量も、なぜか多め。
サンドイッチをする時、食パンに塗るバターは水気をコーティングする役割もある、というのが一般的。もちろん、実家のサンドイッチにもバターは塗っているのだけど、そのコーティングを上回るコールスローの水分。それが、時間の経過とともに、食パンに移っていく。
コールスローの水分がしゅんで‥これまたジューシーな実家のサンドイッチ。
父母は、このジューシーサンドイッチを美味しそうに食べている。
お惣菜が並ぶ食卓、まったく抵抗感無し
実家が繁忙期になると、祖母も仕事に駆り出され、食事を作るのもままならない。
そんな時は、徒歩1分圏内にあったスーパーの惣菜が食卓に並ぶことも多かった。
「忙しいので勝手に食べといて。おかずが足りなかったら、○○スーパーに買い物に行っておいで。」なんて時だけ、ちょっと癖のある家庭料理から解放される。
繁忙期シーズンには、スーパーのお惣菜が家庭の味になっていくのだった。
お惣菜が並ぶ、小学生一人の食卓。
文字だけでみると、なんだか可哀想な雰囲気が漂うかもしれないが、とても楽しんでいた私。
独自路線の味付けから解放されて、自由にお惣菜を選ぶ。お気に入りは、エビ豆と白身魚のフライだった。
ご家庭の味はどなたにも
母は、毎日忙しく朝から晩までお店に出ていた。
父は、船乗りだったので、家に帰ってくるのは数ヶ月に一度。
ある意味、共働きの最先端を行っていたと思われる我が家。
「結婚したら、旦那の実家の味を継承する。」なんてことも聞いたりするが、うちの場合は、これらのエピソードのみを継承している。
家庭の味。おふくろの味。手作りの食事。に対し、出来合いものは、敬遠されることも多い。
でも、環境によって、食事の在り方はそれぞれなのだ。
うちの家にとって、お惣菜が食卓に並ぶことは、父母共に今でも抵抗はない。
そして、母の現在の好物は「セブンイレブンのおでん」なのである。