こんにちは、月曜日担当の隊長です。
本日、二回目の投稿ですが、すでに締め切りとの追っかけっこが始まり、「Wings for Life World Run*」に出走している気分です。
*毎年、世界各地で開催されているゴールが背後から近づいてくるランニングイベント。日本では2017年に滋賀県高島市で開催された。
では早速、先週(4時間目の憂鬱)の続きを…
歴史は繰り返される
小学校の時、偏食な私は「給食」の時間が嫌いだった。
中学に入学してからは、「需要と供給(食べないものは食べる人へ)の制度」を勝手に導入し、担任の先生からもその制度を黙認されたようなので、ちょっとは給食嫌いは和らいだ。
高校に入るとお弁当&食堂になったので、ようやく給食から卒業した。
ところが、20歳をこえたころ、憂鬱な時間「給食」が再来する。
何を血迷ったか?大学は教育学科に入学し、小学校の先生を目指してしまっていた。
小学校の先生の免許を取得するには「教育実習」にいかねばならず、たいていは卒業した小学校に実習生としてお世話になる。私も例外なく教育実習に行くのだが、お世話になる母校は「給食」が存在し続けていたのだ。
小学校を卒業してから、10年以上もたつし、時代の変化(なんでも食べようぜ→食べられるものを食べようね)に期待したのだが…時代はまだ私の意識に追いついてきていなかったようである。
好き嫌いなく食べよう王朝は、まだまだ繁栄していた。(※変わっていたのは、アルマイト食器は影も形もなかったことくらい。)
そうはいっても、あの給食呪縛を卒業してから流れた月日は、私を成長させ「それっぽい理由で問題を回避する」という人生をうまく泳ぐためのテクニックを身につけていた。
「今日は、体調が悪いので、あまり量は多くは入れないでね。」
「先生は小食なので、育ち盛りの君たちにあげる。」
なんていう理由をつけて、嫌いなものはこっそり周りの子供たちに配布していた。
魔の納豆事件
ところがある日、事件?は起こる。クラス担任で指導教官のK先生が出張に出られ、私はクラス運営を任された。
ところが運悪く?その日の給食に「納豆」が出たのだ。
当時、子どもたちの好き嫌いがわりとはっきりしてた「納豆」という食材が、よりによって担任の先生の出張日の献立に登場していたのである。
さて給食の時間。
「先生(私のことね)、〇〇ちゃん(納豆が嫌いな子)が『納豆が食べれないので、誰かにあげてもいいですか?』ときいてます。」という打診がきた。
今日はクラス運営の全権は私(ある意味、殿様的な…)だ、という勘違いも作用してか、私の口から出た言葉は…
「嫌いなものは食べなくてよし!」
後先、何も考えずに発した言葉は、クラス中に歓喜の輪を広げたことは言うまでもない。
大人の世界はそういうものなのだよ
次の日、担任の先生も出張から戻られ、その日も給食の時間がやってきた。
その日も昨日と同じように「食べられない(嫌いなもの)を、誰々にあげてもいいですか?」という会話が生徒と担任のK先生の間で交わされた。K先生は「少しでも食べるようにしなさい」と優しく諭したのだが、そのあとに生徒から予想もしなかった言葉が続いた。
「昨日、有川先生は『嫌いなものは食べなくてよし!』って言ったのに…」
その時、K先生の顔が若干曇ったような気もしたが、記憶は定かでない。
昼休み、その生徒が「先生(私のことね)は、昨日『嫌いなものは食べなくていい』って言ったのに~」とやってきた。ちっ、なぜあそこで、その話をすんねんっ
ここは、人生の先輩として、伝えなければいけないことがあると思い、優しく諭しておいた。
「昨日は昨日、今日は今日。大人になるといろいろな事情がある。」
その時の生徒たちが、不条理かつ、いろいろな事情が画策する大人の世界で強く生きていることを願ってやまない。
次回は3/12更新予定です。
「長い長い長い戦い@京都…」の巻。
こんばんわ
懐かしく、昔の様子を思い出しながら読ませてもらってます
読みながらひとりプッ‼︎と笑ってしまいました
娘に、へんなひとという顔をされてしまいました
としえ様、コメントありがとうございます。
昔の話なので、少々記憶が曖昧なところがありますが…今後も面白おかしく、時にはシリアスに更新していく予定ですので、また来てくださいませ♪
お待ちしております。