連絡手段として、日常で頻繁に使うのは、メールやLINE。
電話で話すことはめっきり減った。そして、手紙を書くことは、もっと減った。
電話はちょっと苦手
子どもの頃、友達のお家に電話するのが苦手だった。
自分だけの携帯電話がない時代。
お家に電話をかけて、ご家族の方が出られたら「○○ちゃんいますか?」とたずねるわけだけど、誰が出るかわからないドキドキが嫌だった。
時に、本人が出てくれた!と思って話していたら「妹に変わるねー」と姉妹の声に惑わされて恥をかいてみたり。
また、男の子のお家に電話しようものなら、更に何倍も上がるドキドキ感。
逆もしかり、ふいにかかってきた男の子からの電話は、母親から好奇の目にさらされた。
今はそんな思いをしなくてもいいのかと思うと、少々羨ましい。
電話=その人の時間を奪う説
現在、電話で話をすることは本当に少ない。
私の場合は、どうしても仕事で必要な時くらい。
そして、ここ数年、自分の中でさらに「電話」が苦手なツールになりつつある。
話すことが苦手というよりも、“すぐに対応しなくてはいけない絶対的な縛り”が苦手意識を生んでいる気がする。
堀江貴文氏や、幻冬舎の編集者の箕輪厚介氏も「電話は一方的に重要な時間を奪う」と話しておられたし…
以前にテレビで見かけた会社では、電話を取っていると仕事が前に進まず効率が下がるから、グループごとに電話番を決めていた。
そう。メールやLINEであれば、自分のタイミングで確認&返信ができるけれど、電話は手を止めてすぐに向き合う必要がある。
デザイン仕事で集中している時に電話がかかってきたら、本当にイヤだ。
しかも、文章を作るのがめんどくさいから電話しよう!というニュアンスを感じる時もあり、そういう人の電話は、もう思い切って出ない。
あとでLINEがきて、用件を確認すると「了解です」と返信して終了。
たった4文字の返信で済むような事務的な確認などは、そのほうがありがたい。
かといって、例えば、家族が救急車で運ばれた時。
119からLINEで連絡がくるようなシステムだと驚くだろうし、電話は、緊急かつ状況や感情を直に伝える場合には必要だと思う。
手紙は、ふんわり気持ちが届く
電話は、すぐ対応。
メール・LINEは、自分のタイミングで対応。
どちらにしても、応答することが必要な中、書簡(手紙)には、曖昧なニュアンスを感じる。
例えば、贈り物をした時、後日届いたお礼のハガキ。
その人らしい文章の表現と文字を見て、あぁ喜んでもらえて良かった。と、あたたかな気持ちのやりとりで着地して終わり。
これが、LINEだったら、スタンプのひとつでも返信して相互関係が必要だけれど、手紙は片方の気持ちだけで成り立つ。
また、ポストへ投函して、郵便屋さんが届けてくれる…ゆるやかな時間経過も魅力のひとつ。
忙しい現代で迅速さが求められる中、気持ちを発信してから、時間差で届くという遅さ。遅いということが魅力だなと思う。
先日、お礼のお手紙を書いた。
返事しなきゃと思わせずに、気持ちを届けたい、と考えた時、手紙が一番いいかなと行き着いた。
先様のお好みに合わせて便箋を選び、パソコンで文章を下書きしてから、万年筆で書きかき。
筆まめな方は、私のちょっとした憧れ。
もちろん、手紙なんかめんどくさいと感じるタイプの人には送らないけれど、ふとした時に届くハガキや手紙に私はとても癒される。
いただいた手紙やハガキ、心に残ったものは保管しているが、故人からの手紙を見ると、くせのある文字も懐かしい。
メールやLINEの活字では、このニュアンスは残せないはず。いや、スタンプのチョイスがその人を物語るのだろうか。
もしや、LINEだけでやりとりしていたら、その人がどんな字を書くのかも知らないということもありえるかもしれない。
手紙は、時間をかけて、ふんわり届く。その曖昧な距離感とコミュニケーションが心地いい。
かといって、手紙が日々何通も届いたら、それはそれで困る。
むしろ、時間のかかるコミュニケーションツールで一方的に気持ちを届けることに、怖さすら感じる。
結局のところ、相手を尊重できるかどうか。その想像力に尽きるのかもしれない。