しずかな1月
1月は、人と出会う機会が少ない。
まずは、コンサートが少ないことにある。私達が担当しているコンサートは、春と秋~冬に集中していて、一年で考えると1~2月の公演が一番少ない。
そして、雪問題。
雪に左右されるお山での生活は、積雪のため下山できなくなったり、足早に帰宅したりすることも多く、自宅&スタジオで過ごす時間が多くなる。
そうした経緯で、1~2月はWEB仕事やデザイン業を中心にするようになった。
作業スペースにて、自分のペースで仕事をする。
気分転換に気合を入れてお昼ご飯作ってみたり、ネコと遊んだり、天気がいいから洗濯物をしよう!と思い立ったりするのも自由。
締切までのスケジュールの中で、どう過ごすかの自由度は高く、気ままなものだと自分でも思う。自営業の楽しさココにありという部分だ。
インドア傾向が強い私にとって、自宅作業日は心落ち着く日。
だけど、人と話すことによって発散される何かがふつふつとたまり始めた1月の中旬~終わり頃、心の中で湧く小さな苛立ちを感じはじめる。
年始めにあやかった会議
私達は、誰かの実現したいことに向けて力を注ぐことが得意だ。
どんな風にカタチにすれば、依頼主の希望を叶えられるか。また、効率的に結果を出せるか。そんなことを考える時、頭の回転スピードがあがって拓けていく感覚になる。
ただ、自分たちのことになると、回転スピードがダウン。
あれがやりたい!これがしたい!というのが少ない者同士なので、スタジオアントラップとしての進むべき方向を決めるのがとりわけ苦手。
私も隊長も、推進力に長けている人の下につく2番手くらいのポジションが得意なタイプ。
なので2人揃って、リーダー役を相手に委ねているような、時にどっちもがやっているような、といった曖昧な体制。
これまでは、いただいた仕事を全力でやる!と邁進してきた結果、自然と仕事が続いてきた。
だけど、受け身だけではなく、スタジオアントラップとして目指す指針くらいは決めようと思い立ったのが数年前。不得手ながら、1月には年始めにあやかって「今年は何を見据えて、何をするか、どうあるべきか」など、できるだけ話をするようにしている。
スタジオの移転も兼ねてから構想していることなので、移転する場所や新事業として何をしたいか等、意見交換。
相手が何をイメージしているかの共有も兼ねたアイデア出しから、具体的な話し合いまで多岐にわたる。
いざ話してみると「えっ?そんなことがしたいん?」「数年前にはしたいと言ってたのに、もう終わったのね」等がわかるし、今後の情報収集のアンテナにも活かされてくる。
どれだけ一緒にいても、言葉にしないとわからないことだらけ。
「言わなくてもわかるだろう」は、伝える努力の放棄、もしくは、わかってよという傲慢さ、というのが私の持論なので、ご飯を食べている時や移動時間などを使って、話を繰り出すのだが‥
これが決まって、私発信。
話し始めたら、隊長も楽しく意見をだして互いの気づきを得ているが、自分からそういう機会を作ることはしない。
ここに、もんもんポイントがあると気づいた。
苛立ちの正体
そういえば、例年1月の終わり頃、悶々とした気分になっていた。初めて行き着いたその理由。
議論は、いつも私発信であること。
前者は、人とのコミュニケーションで発散される。
繁忙期ではないので、比較的時間のコントロールもしやすく、友人とランチへ行くなど手立てはいくらでもある。
後者をどうするか。
きっと理想は「○○の件考えたんやけど、どう思う?」など、隊長発信で何かが動き出すことにある。
でも、このもやもやを掘り下げていくと、根底にあるのは「いつも私ばっかり考えてるやん」という気持ち。
‥うん?もしかして‥
傲慢なのは私なのか。
相手に意見を出してもらうのを望む。
考えよう!という機会をたまには自分から作ってよと望む。
自分自身何がしたいのか。
その答えがでていないことへの苛立ちから、相手へ強要したくなるのかもしれない。
人生は誰が決めるわけでもなく、自分の選択の連続だと思うと、どう生きたいかというだけ。
流れにただ流されるだけではなくて、そろそろ本心と向き合って考えてみなければいけないなぁ。と、昨晩の寝る前に考えていた。
この記事を隊長に読んでもらう。
何を言われるかなと思っていたら‥
「まぁ。ほら。なるようにしかならへんや~~ん♪」
この思考に、救われるか。
もんもんポイントを重ねるか。
それは結局、わたしの心次第なのだ。