全ては音読から
小学生の頃、手を挙げて発表するのが苦手だった。
先生の質問に対し、元気いっぱいのリーダー格の男の子や、私を見て~とばかりの女の子がこぞって「はい!」「はーい!」と手を挙げるのに対し、私は先生の目をどうやってやり過ごすかに注力していた。
みんなの前で発言をすることも嫌なのに、答えを間違ってしまうなんて、これまた嫌。
でも、一日一回は発表しましょう!と、先生は誰が発言したかをチェックしている。
先生によっては、黒板上部に名前を書いたマグネットを貼って、発言済みの子は上段、未の子は下段と名前を移動させ、発言状況が一目瞭然でわかるシステムを採用。とても憂鬱な授業風景だった。。
そんな中、私が唯一自信をもって手を挙げられたのが “音読”。
教科書を読む、という作業は、漢字の読み間違いの危険があるくらいでリスクが少ない。そして、声に出して”読む”という作業がなぜか得意だった。
すらすらと詰まることもなく、大きな声で読む。ポイントは、声に出している部分より少し先を目で先読みすることだ。
先生も褒めてくれたし、私は発表義務を音読で解消していた。
アフレコごっこ
小学生時代、お家での遊びといえば…
お店屋さんごっこ、ジェニーちゃんの着せ替え、ジグソーパズルなどが好きだった記憶があるけど、もう一つ覚えているのが、アフレコごっこ。
私はドラえもんが好きで、叔父さんからもらった漫画がたくさん家にあった。
ドラえもんのお話を一つ選んで…友達とじゃんけんで配役を決める。
アフレコごっこといっても、アニメ映像に声を合わせるのではなく、声だけのあそび。
友達といってもリスとその子2人だけなので、複数の役を受け持つことになる。
ドラえもんとのび太君、ジャイアンとスネ夫の組み合わせで受け持ったら、一人芝居状態でセリフが続くことも…それもまた面白い。
そして、読み合わせをしてひととおり練習をしたら、ラジカセに録音。
漫画のとおりセリフを言って、ただ録って聞くという、今思えば、シュールなあそびを楽しんでいた。
録音した自分の声はあまり好きじゃなかったけど、この声はどんな気持ちかな~と想像して発するのが楽しかった。
放送を届ける楽しさ
学校嫌い(校門待ち伏せ隊が導いた岐路)の小学生時代。
ある日休んだら…放送委員に抜擢されていた。
最初は嫌や。。。と絶望したものの、投げ出すのはもっと嫌。
いつもよりも早く登校して朝の放送、お昼は放送室で一人給食を食べながら、献立の案内&かける音楽のテープ選び、下校の放送時はみんなが帰るのを2階の放送室から眺める。
持ち前の責任感と負けず嫌いが作用して、乗り気にならないまま週一回の放送を担当したら、意外にこれが楽しくなった。
その感覚が残っていたからか…高校生時代は、体育祭の放送を担当。
放送台本を作って、100m競争にでる方の名前を間違えず読み上げられるよう、全員の名字の読み方を確認しひらがなで一覧表を作成したり…今見れば、なかなかの気合の入った準備っぷり。
イベント企画や準備をする楽しさを知ったのも、この頃。
放送は、恥ずかしいし嫌という人が多いけど、私にとっては、案内を目的とした裏方の感覚が大きかった。
だから、アナウンサーやDJ、司会業といった、表に出る”声のシゴト”には興味がなく、発声や話す精度を上げたいと調べたスクールも何かが違うと思い、声のシゴトへの興味はそこまでとなった。
お手伝いから、シゴトへ
それから時が過ぎゆき…
ホールアナウンスをやってくれへん?というお誘いがあった。
「ハキハキしてるしいいと思うねん」と言ってくださり、ホールの開演前・終演後のアナウンスの他、注意事項のご案内などを録音。内容が変更となって、途中録り直しをしたものの約10年、今もなお使われ続けている。
それから、老人向けおもちゃのガイダンスや、動画で使用される案内ボイス、コンサートの案内アナウンス、などいくつかお手伝いさせていただいた。
このクマの絵は、初めて“声のシゴト”でお金をいただいた時、購入したもの。
特別なレッスンや鍛錬を積んでいない、私の声。
役に立てた喜びも、シゴトとしての責任も、その時に感じた気持ちを残しておきたくて、絵を買った。
今も時々コンペに参加している。
先月参加したコンペは駄目だったけど、これからもやりたい!が芽生えたシゴトには挑んでいきたい。
この絵を見ると、声を発することで得たこれまでの経験を思い出す。
朗らかなクマさんは、また何かできたらいいな~と、いつも前向きで楽しい気持ちにさせてくれる。