お世話になります。隊長@スタジオアントラップです。
月曜日の発信を担当することになりましたので、これから毎週、投稿していく予定でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
まずはご挨拶ということで、しばらくは私の人となりがわかるような投稿内容でお送りしていこうかと思います。
では、始まり始まり。
4時間目終了時の憂鬱
「貴方がこの世で嫌いなものを5つ上げよ」というアンケートがあったら、その中に必ず入るモノがある。
「給食」
私は、給食が嫌いです。
その理由は、自分の「偏食」以外には無いのだけれど、2本足(鳥)&4本足(牛・豚)の肉類は基本NGなのだ。
基本的には野菜、魚類はOK。
肉類に関しても例外もあり、ピザにのっているようなサラミは大丈夫だったりする。サラミは石油製品に分類するという独自のルールを適用している。
美容院を営む母が言うには、私の偏食の歴史は生まれた直後から始まっていたとか。
母の母乳をあまり飲まない子で、母の母乳を飲まない分は、同時期に出産したお客さんの母乳を摂取し栄養を補給していたらしい。
そんな生まれた時から偏食の私は、その体質が変わることなく育ち、なんでも食べられる子にしようという母の偏食直す作戦もすべて失敗に終わり、「嫌いなものは一切口にせず」というポリシーを曲げずに育つことになる。
ところが小学校への入学と同時に、避けては通れない問題が発生した。。それは「給食」。
午後の机の上は教科書とアルマイトの食器
今でこそ、アレルギーやら、いろいろな事情で特定の食材を食べないことが許されるようになったが、当時は、出されたものは好き嫌いなく食べることが基本の時代だった。
一応、努力?してみて「嫌いなものを口に入れたら、味・触感を感じない間にひたすら飲み込む」という作戦に出てはみたものの…給食すべてを飲み込めるわけもなく空しく撤退。
しかも飲み込むための飲料:牛乳が、これまた苦手だったりするので、まさしく不の相乗効果。
そして、「給食を食べ終わるまでは、机に座っている」というルール?だったので、昼休みもなく、6時間目が終わるまでは、目の前に教科書とアルマイトの食器類が広がっているという生活が続いた。
唯一、昼休みを満喫できたのは、月に一度やってくるかこないかの完食メニユー(フルーツポンチや、揚げパンなど♪)の日だけ。
中学に入ってからは、競争市場による需要と供給制度(食べないものは食べる人へ)を勝手に導入したので、給食の呪縛から解放されたのだが、20歳をこえた頃、この「憂鬱な時間」が再来することになる。
なんと、初等教育専攻の学部に進学してしまったのである。
初等教育専攻の履修科目の中に「教育実習」という科目があることを知ったのは、入学した後だった。。。
この続きは~また来週っ。
次回は3/5更新予定です。
「教育実習へゆく…」の巻。