そんなに急ぐ理由はなに?
先日、車を運転していたときのこと。
私の車の前には、もう一台の車。
早すぎず遅すぎず走行していたら、後ろから来た車が2台抜かしで追い抜いていった。
そこは、中央が黄色ラインの追い越し禁止道路。夜だったので、車も少なく、対向車もおらず、追い抜いた車はブイーンと田舎の道を駆け抜けてゆく。
あおり運転や危険運転による事故も多い中、後ろからせっつかれたり、無理な追い越しにでくわしたり、怖い思いをしたことがある人も多いはず。
こんな光景に出くわすと‥我が家では「何をそんなに急ぐ必要があるのか?」という会話になり、いつも理由を想像してみる。
・おしっこがもれそう。
・風になりたい。
まぁ仮にそうだったとしても、危険運転はだめ。そして、きっとそんな理由ではない。
結局、我が家では「きっと生き急いでるんだよ。」というところに着地する。
このご時世、ドライブレコーダーが付いている車は多い。危険運転の様子は、映像として記録されるのだから、言い訳もできない。
スピード出しても、良いことなし
運転時のイライラ解消法
「あおり運転をする心理」というのを調べてみると‥
車という鉄に囲われている匿名性&安心感。また、顔が見える対面ではないので、自分の思い通りにいかない時にストレスがかかりやすいということがあるらしい。
ゆっくり走る車が前にいたら、もっと早く走ってよ!とイライラし、遅いんだから抜かされて当然だ!私は急いでいるの!と自分を正当化する。
また、クラクションを鳴らされた!割り込まれた!時は「やられたらやり返せ」心理が発動する、とか。
知れば知るほど、理解に苦しむしコワイ。
私ももちろん、急いでいる時にゆっく~り走る車が前を走っていたら、早く行きたいのにー!と思うことはある。
そんな時、自分の中で巡るのは‥
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万が一、事故でもおこしたら、時間もロスするし、各所に迷惑がかかる。
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安全運転で事故なくたどり着けるなら、遅刻もやむなし。
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そんで、もっと余裕持って早く出なかった私も悪い。
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軽トラのおじいちゃん、ゆっくりどうぞ。
田舎あるある
無意識ながら“心の天秤”によって「安全運転で事故無くたどり着く以上に大切なものはない」と結論づけて、心の安定をはかっていた。
心の天秤
この心の天秤。
30代くらいから、何かにつけての局面で使っていると、最近気付いた。
私にとっての心の天秤は、AとBどちらが大切か?という使い方ではなく、Aより大切なものがあるか?の確認のために使っていることが多い。
《小さな例え話》
スーパーで買い物をしていたら、500円玉が落ちていた。
A:店員さんに届ける。
B:自分のものにしちゃう。でも、そんな500円で買い物して楽しいか。っていうか、そんなに困ってないし。= A を選択。
これは、日常的によくある、心の天秤。
《架空のたとえ話》
タイプの男性に出会った。一夜の過ちへ‥?
A:隊長との暮らし。
B:忘れていた恋のドキドキ。女性として大切に扱われる。って、そんなの一瞬だけ。隊長を裏切り、今の生活をなくすリスクを背負うほど、いい男なのか。ないない、幻想。バレなかったとしても、ずっと心に秘めて生きるなんて、あぁ息苦しい。=Aを選択。
これは、ワイドショーの不倫ニュースを見ながら空想する、心の天秤。
ただ単に、理性的なバランス人間という気もするけど、心の安定を保つ工夫として、いつしか“心の天秤”ができていた。
歳を重ねて、自分の大切なモノが明確化することで天秤の基準ができたからか、判断に迷うことが少なくなったと思う。
とはいえ、明日友人宅で食べるお弁当をそろそろ予約しなければと思いながら、ミンチカツかヒレカツで迷っている。
さほど大事ではない決断においては、心の天秤は平衡となり機能しない。
ミンチカツのジューシーさ‥
柔らかなヒレカツ‥
どうでもいいことほど、優柔不断を発揮する私です。
うん、やりますね、天秤。私はこの数年は、どちらをすると自分の気持ちがすっきりするか。気持ち良く過ごせるかを考えています。
そう、自分大事♪
気持ちよく過ごせるか‥って大事ですよね。
後悔しない選択って、結局は後になってみないとわからないですけど、誰のせいでもなく自分で選んだという意志をもてるので、心の天秤は役立っている気がします♪