全くの初心者によるフルマラソンの戦い。
先週に続き、長い長い長い戦いの後編(前編)。少々長くなっておりますが、最後までお付き合いくださいませ。
では、はじまりはじまり~♪
めでたい私の挑戦も、いよいよ本番。
少々の不安の中、当日の朝を迎えるのである。
サポートはお任せください
スタート会場に入ると、師匠からさまざまなグッズが配給された。
「これは10km20km30kmの段階で補給してね」と補助食品。
「これは疲れが出てきた時用ね」とサプリメント。
「汗をかくことで塩分不足になるから、たまにこれを舐めてね」と、塩飴などなど。
まさに「完走に向けて完全サポートしまっせ」という通りだ。
師匠によるレース前カンファレンスでは、こんなアドバイスがあった。
「30km~35kmを過ぎたくらいに壁があり、そのあたりで足に痛みが出てくる。
ただし、それは身体を守る為に脳がやめさせようとしてるだけなので、それは足の痛みではなく、ただの“気のせい”。実際、完走した後には、さっきまでの痛みは何?というくらい痛みは引いているはずだ。」
「足の痛みは気のせいだ。足の痛みは気のせいだ。」と、念仏のように心の中で反芻し、スタートの合図を待った。
まるで自分史を振り返るようなコース
京都マラソンのコースは、西京極陸上競技場を出発して平安神宮までの42,195km。
公式HPでは「7つの世界文化遺産付近を巡り「送り火」で知られる五山を眺望できるなど、 山紫水明の都である京都の魅力を堪能できます。」とあるが、私にとっては、通っていた大学、勤めていた会社をめぐる自分史の旅という因果なコース設定だ。
さぁ、いよいよスタート。
京都マラソンの参加者は1万人を超える。
一万人が横一列になってスタートできるほど、京都の道は広くない。ところてんのように、ランナーが次々と西京極陸上競技場から押し出されるのである。レース開始の号砲から12分後に、ようやく我々はスタートラインを超え、陸上競技場を後にした。
制限時間は、6時間。
6時間の間にゴールラインをこえなければ、その時点でレース終了となる。しかも、いくつかの関門があり、それぞれの関門に制限時間が設定されている。
師匠は、どのくらいのペース(1kmを何分で走るか)でいくと関門に引っかからないか、少しでも力を温存できるようにと、細かくペースの指示を行ってくれた。至れりつくせりの完全サポートである。
余裕から一転…
コースの前半は上り坂が続く。
ただ、自分にとっては見慣れた風景(よく通った佛大幼稚園のグランド→立命大→平野神社→佛大の付近)を懐かしむ余裕もあり、順調に走ることが出来た。体力的にも、まだまだ会話ができるくらいの状態だった。
コースの中間地点となる北山通りの21kmを超え、いよいよ走破したことのない未知の距離に突入していく。植物園を目前に控えた25km付近で、身の毛もよだつ出来事が起こる。
それは…視界に入った‥『ランナー回収バス』
関門の制限時間を過ぎると‥関門は閉鎖。
通過できなかった人は、そこでマラソン終了となる。
終了となった人は、そのランナー回収バスに乗り(のらない人もいるみたいだが)、ゴールの平安神宮へ送られることとなる。恐怖の回収バスを見つけてから「制限時間以内に、平安神宮へたどり着けることが出来るのか…」と、焦りが見え隠れし始め鼓動が少しだけ早くなった。
師匠は相変わらず並走してペース管理などをしてくれていて、こまめに様子をうかがってくれる。
完全サポートの看板に偽り無しだ。
マラソンには、給水だけではなく、給食と呼ばれるサービスが存在する。
栄養補給をサポートする食べ物、バナナ・オレンジ・プチトマト・塩飴・酢昆布・パンなどをはじめ、ご当地メニューも存在していて、ランナーにとってはひとつの楽しみらしい。京都マラソンでは「八つ橋」が名物とのこと。
25kmを過ぎて‥でてきた給食が、パン。
師匠が「どう?食べる?」とすすめてくれたが‥
無言で首を横に振る、私。
「これうまいな~」とパンを頬張り走る、師匠。
この状態でのパン‥到底食べれる心境でも体調でもない。
パンを食べて栄養を補給できるのは、ある意味、それなりのランナーだからなのである。
それなりでない私にとって、給食サポートは不要だった。(給食という名前がすでに嫌な感じだ…)
30kmを超えたところに壁
植物園をこえ、コースは鴨川と並走、鞍馬口通りと交差するあたりで30kmとなる。
師匠が、レース前カンファレンスで話していた30kmの壁がやってきた。
ペースが落ち、足が悲鳴を上げ始める。
足がつることはなかったが、足の指先から、ふくらはぎあたりに痛みが走り、足全体がジーンとしびれたような感覚になってきた。
「足の痛みは気のせいだ。足の痛みは気のせいだ。」と、心の中で繰り返してはみるものの、それで足の痛みがひくわけでもなかった。あとどれだけ苦しんだら終わるのだろうと、残り距離と制限時間を気にし始めた。体と気持ちの限界が近づいてきている証拠だ。
35kmをこえ、市役所前を通過し、残り7kmとなったあたりでついにその時はやってくる。
その時も、師匠は横で、「もうちょっとだけ走りましょう。ここで歩いたらもったいないでっせ。もうちょっと、あと50mだけ走りましょう。」と激励してくれていた。
後日談、師匠が言うには「今まで見たことのない、人をあやめてしまうような顔つき」だったそうだ。
私としては激励に感謝しつつも、その時の気持ちをこうよんでいる…「殺意の市役所前」
知っていることは残酷なこと
残り5kmあまりとなり、残り時間を考えるとなんとか完走できそうな気配が漂ってきた。
しかし、コースの最後に百万遍からの上り坂という最大の難関がある。
百万遍の交差点前で、師匠が「あそこ曲がって、坂を上って折り返したら、あとは下り坂、もうちょっとでっせ。」と声をかけてくれたのだが…
その周辺は、昔、勤めていた会社があった場所。距離感も上り坂の具合も、十分理解している。
知っていることは、残酷なことである。「あと少し」と言われても、「あと少しとちゃうし」と難くせをつけてしまう自分がいた。精神状態は破綻一歩手前である。
しかし、師匠は粘り強く、最後の上り坂を走っている間中「あとちょっと。あとちょっと。あとちょっと…」と掛け声で背中を押してくれた。最後の折り返しを過ぎるころには、精神状態も回復、ちょっとは笑顔が戻っていたはずである。
平安神宮:14時51分着
制限時間約10分前に平安神宮に到着。
無事ゴールを迎えた。後半、劇的にペースは落ちたものの、なんとか完走(途中、歩く事態が発生したが、世間ではゴールにたどり着いたことを完走と呼ぶ)できた。
これも完全サポートのおかげ、感謝しかない。
ただ、ひとつ聞いていたこととは違うことがあった。
レース前カンファレンスで言われた、あの言葉。
「30kmあたりをこえて足が痛くなってくるのは“気のせい”。完走した後には、さっきまでの痛みは何?というくらい痛みは引いているはずだ。」
完走できた安堵は確かにあった。
だが、レース終了後は、生まれたての子鹿状態。足の痛みは気のせいではなく‥痛みは次の日も、次の次の日も続いていた。
終わってから、師匠に「時間制限で引っ掛かりそうになったらどうしましたか?」と聞いてみた。
「まぁ、そうなったら、ほっといて走りましたわ。ワハハハ♪」
そして、師匠がさらにこんな一言を‥
「しかしまぁ。初めてのマラソンでフルマラソン。ほんまよぅ走りきれたなぁ。びっくりしたわぁ~。俺は10kmからはじめたもん。」
いやいやいや、豪快に笑う師匠の顔は忘れられない。
そして、次の2016年も京都マラソンを一緒に走った。
2017年・2018年は抽選に外れてしまったが、今も大人の部活動は続いている。
結局、師匠の作戦にまんまとひっかかった私。
信頼する人に踊らされるのも、悪くはないものである。