目撃者は自分
『人は良い行いをすれば良い報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある』という仏教の教え。
誰も見ていないから、いいや。
そう思う気持ちはわかるけど、私には向いていない。
若い頃はそれなりに、ズルをしたり、嘘をついたことだってある。
それこそ、ここだけの話。
浮気の一つだって経験がないわけではない。これぞ、若気の至り。
ただ、その時感じたのは…
つじつまを合わせるのが大変だということ。
自分の行動と言動の整合性を保つ苦悩。
これが実に面倒くさい。
そこまでして成し得ないといけないほど重要なことなのか…と思う始末。
どんな些細なことであっても…
周りに誰もいなくても…
何をしたのかは、全て自分が見ている。
後ろめたいことをしないことは、私にとって1番楽な生き方だと思っている。
落とし物は巡る
これまで、財布・免許証・バッグを落とした/紛失した経験があるが、どれも無事に戻ってきた。
警察から連絡があった時もあるし、スーパー等の落とし物センターに届けられていたこともあった。心の底からホッとしながら自分のうっかり具合を反省しつつ、世の中捨てたもんじゃないなぁと思っていた。
落とし物をした時の喪失感と無事に出てきて!と祈るような気持ちを経験している者として…
落とし物を見つけたら、必ず係か警察へ届けている。
先日、いつも行くスーパーFrescoで買い物をしてレジで精算をしていた時…
買い物したものを袋詰するカウンターにふと目をやると、500円玉がぽつりと置かれていた。
「あのぅ、500円玉があちらに~」と500円玉を拾ってレジさんに手渡す。
「あら。さっきのお客様が忘れたのねーきっと。ありがとね~」と会話。
帰宅してから、500円玉がない?!!と気づくことはないかもしれなけど、常連のお客様だったらお店の方がお返ししてくれるかも~と思いながら、帰宅した。
500円玉の恩返し?
それから数日後、同じFrescoでお買い物。
レジでFrescoのポイントカードを差し出したら、レジの方が「あ!」と一声。
商品ピッピも途中ながら、引き出しをあけて何かを探している。
「これ~」と差し出されたのは、他社スーパーCoopの私のポイントカード。
このカード、数ヶ月前から見当たらなくなっていて、再発行しなきゃなーと思っていた。
よりにもよって、Frescoからでてきた私のCoopカード。
他社のカードをわざわざ保管しておいてくれたのことに驚きながら、Frescoカード裏面の署名をみて…Coopカードの落とし主だ!と気づいてくれたレジさんにも驚く。
何でもレジカウンターの下に落ちていたのをお客さんが拾ってくださり、しばらく預かっていたのだとか。
たくさんのお客様の中よく気づいてくれたなぁと思って、御礼をお伝えしていたら「もっと早く気づけていたら、よかったんだけど~」と笑顔のレジさん。
500円玉を拾ったから?
Coopカードが返ってきた?!
そんなまさかな因果関係はないにしろ、そんな風に感じるタイミングだった。
自分のすることは、全て自分が見ている。
そして、どこかで何かしら全てが繋がっているのかもしれないなぁ~益々悪いことはできない。